新産業基盤の確立と、エネルギーシステムの再構築は国家が主導すべき

 一昨日のエントリーと、昨日のエントリーの前半で、大規模洋上風力発電システムの私案を述べた。

 石油を中心にした化石燃料が、やがて(100年以内に)は枯渇することを考えれば、このような再生可能エネルギーにシフトする方向性が変わることは無いだろう。むしろ加速するだろう。

 しかしである。

 今の日本の経済界には、自らこのような新エネルギー・システムの構築に挑んでいこうというような気概が無い。
 いや、銀行を含めた、共同企業体を作り、チャレンジしていくことは可能性としてはありうるが、ほとんどの企業にその気は無いであろう。
 まず確実にやらない。

 日本に限った話ではないが、石油、天然ガス、石炭に、依存しきった形でのエネルギーシステムが構築されて、すでに数十年が経っており、また、アメリカのように自動車産業が儲けるために、自動車会社自身が鉄道会社を買収して、エネルギー効率の良い鉄道システムの発展を妨害し、石油がぶ飲みの自動車中心国家を形成したような例もある。
 アメリカの穀物メジャーが推進する、とうもろこし原料のバイオエタノールも、エネルギー政策よりも、穀物メジャーの儲けが優先の考え方である。

 目先の利益のため。または、既存のシステムで利益が得られる限りは、ほとんどの企業は、新エネルギーの製造・分配システムへの開発投資を行わないであろう。

 政治の話になる。
 「官から民へ」、「民間活力の活用」っという、自民党が使い古したキャッチフレーズ。

 中曽根政権から始まり、コイズミ政権でピークに達した、新自由主義的、企業本位社会では、まずは、企業の(ほとんどの場合、大企業の)儲け、利益が最優先となる。

 「コーポレート・ガバナンス」と言う言葉がある。
 「企業統治」という変な日本語に訳されているが、要するに、会社は誰のもので、誰に奉仕するかを示す言葉である。
 結論は、最優先に奉仕すべき会社統治者は株主であるということになっているのだが、これには本当は裏がある。
 実際のところ、日本において特徴的なのは、大企業同士が互いに株式を持ち合いをし、会社経営、企業統治に、他者の介入を阻む体制がすでに出来上がっていることだ。

 口先では、「株主の最大利益を図るのが、株式会社の使命」と言いながら、実は、互いに株式の持合をしている日本の大企業は、結局は、互いの会社を儲けさせることが至上ということになっているのである。
 ある意味、雇用などによる所得の再配分と言った、企業の社会的役割を放棄する口実として用いられているようなものである。

 これを、私は、「会社資本主義」、「会社本位制」と呼んでいる。

 「会社資本主義」、「会社本位制」の至上命題は、会社の利益を極大化することである。そして、その利益を算出する期間は、いまや四半期(3ヵ月)業績というスパンの短いものになっている。
 業績がよければ、経営者(世襲企業では、オーナー経営者)は、億単位のボーナスがもらえる。しかし、業績を良くする為と称して、賃金カットやリストラ、資産売却をして、費用を削減して決算上の利益を出したのだとしても、同じように経営者はボーナスを得る。

 品性下劣・傲岸不遜で有名な、経団連会長の御手洗なども、世襲経営者であり、キャノンでも賃金カットをしたり、偽装請負などの違法な低賃金労働を導入したり、その違法性を指摘されると、自民党に手を回して、合法化させようとしたり、経団連会長として、国(自民党安倍政権)に、「ホワイトカラー・エグザンプション制度」(俗に「残業代0法案」と呼ばれた)などを提案してきた。

 そうやって、キャノンが決算で利益を出したら、自らの役員報酬は2倍にした。
 これが、資本の再配分を含めた、企業の社会的責任、役割を放棄し、一部の経営者、世襲経営者の利益の最大化だけのために、日本経済をだめにしてきた、経団連自民党のやってきたことである。実に近視眼的で、下劣な奴らだ。

 数日前のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100110/1263099920)に書いたように、コイズミ政権の5年間(+安倍政権の1年間もほぼ同様)に、日本は、俗に先進国と呼ばれるOECD各国内で、多くの国民生活にかかわる指標が下落した。福田、麻生政権下でも改善はしていないはずである。

 この間、コイズミ政権及びその走狗の竹中平蔵らは、為替の円安誘導で、自動車、電機などの一部の輸出企業のみに利益を出させ、その数字だけを取り上げて、「いざなぎ景気越えの景気回復」と自画自賛した。御用マスコミは、政府の大本営発表を垂れ流した。

 しかし、実際の数字を見ると、中曽根政権下の新自由主義規制緩和により、土地・金融バブルが極大化し、一時的超好景気になったが、実際には株価や地価という、「虚」の価値だけが肥大化し、それが崩壊した後、日本は、「失われた10年」(その後の小渕政権以降も、決して景気はよくなっておらず、いまや「失われた20年」になろうとしている。)と、コイズミ政権以降も、日本経済は沈滞の一途をたどっている。

 「貧困率」など、OECD諸国では取っている統計などは取らず、単に、一部の経済指標だけを取り上げて(しかも、景気回復と言ってもその回復率は微々たる物でしかなかった)、「継続期間」だけが、「いざなぎ景気越え」だったのである。
 
 国民は直近11年間のうち1年を除いて、世帯所得が減り続け(御手洗のような経営をしてきたからである。)、景気回復の実感が無いまま(実際回復していなかったのであるが)、生活に窮し、悩み、ワーキングプアが労働者の四分の一を占めるまでになり、やっと、自民党を政権の座から追った。
 御手洗も連座して、さっさと経団連会長をやめるべきだと思うが。

 このような、「会社本位制」のもとでは、長期的な視野で、エネルギーの発生から分配にいたる新たなシステムを構築しよう、というインセンティブはなかなか生じない。
 石油価格が安定している限りは、それで満足してしまい、来るべき石油枯渇に備えて新たな投資をしたり、その投資の回収に長い期間がかかるような事業創造にチャレンジすることは、今の日本企業の体質ではまずありえないであろう。

 昨日のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100114/1263458975)でも述べた、スマート・グリッドについての日本の対応がまさにそれを示している。
 新たな効率的なエネルギー発生、分配網を作る、っという、再生可能エネルギーも視野に入れたスマートグリッドの基本概念に反し、日本で始まった検討は、単に、高温超伝導などの新技術を使った、価格の高い送電線網などを、既存の送電線網に置き換えると言った、既存重電メーカーが、新たな受注を得るために活動しているのに過ぎない。
 そんなものは、国が音頭を取って、新たな会合など開かなくても、時間がたてば設備の置き換えは進むものであり、何も新しい概念を持っていない。

 このように、「挑戦」、「イノベーションへの意欲」が欠落しているのが、日本の今の大企業なのである。

 ノーベル賞を受賞した複数の日本人研究者や、iPS細胞の研究で名をはせた山中教授などが、みな海外に研究拠点を移しているのも、日本の企業や大学が、新たな技術や研究に金を投じなくなったのが原因であると考えられる。私の先輩に当たる、とある有名大学の教官も「大学はもはや、研究や教育の場ではなくなった。」と私に言ったことがある。10年近く前の話だ。

 やはり、私は、目先の四半期利益の極大化を至上とする、現在の新自由主義的「会社資本主義」、「会社本位制」のままでの日本では、やがて来る、化石燃料の枯渇に備えた、新しいエネルギーの発生、分配システムを構築しようとしないだろうと思う。
 他国に先を越されて、後からあたふたと追いかける羽目になるのが関の山であろう。

 しかし、これは、やらねばならないテーマであり、しかも世界に先駆けて、環境技術が進歩している日本が、世界をリードし、そこで新たな産業の収益源を獲得していくことが、必要だと考える。
 コストカットによる企業の利益の増大ではなく、新産業拡大による、新たな価値の創造による利益の確保を目指すべき時なのである。

 このためには、「官から民へ」、「民間活力の活用」は善、などという、意図的に作られた造語に惑わされること無く、国や自治体が、先導して、技術開発、試験プラントの運用、実機プラントの展開、などを行っていく必要があると思う。

 これこそが、「国家百年の大計」と言う物である。

 国は何もしない、民間に任せておけばよい、っという政治無責任の新自由主義の下で、日本はバブルの崩壊以降、一部の企業経営者と、コイズミら自民党世襲政治家たちが、私利私欲を満たしただけで、国家としての経済力、競争力、国民の富などは低下の一途をたどって来た。
 日本だけでなく、ビル・クリントン政権下で、景気回復を果たしたアメリカも、新自由主義者の馬鹿ブッシュの下で、再び財政赤字に苦しむ結果になっている。つまり、新自由主義=会社本位制=「官から民へ」は、間違いだったことが、現実として証明されているのである。

 今、新技術の育成、イノベーションに向けて反転攻勢に出ないと、日本は三流国家へと転落する。
 国民は20年間の痛みの上で、政権交代を選択した。

 このときこそ、民主党が、「新たな成長分野の創出」、「産業基盤の抜本的改革」を主張するように、国が主導して、一昨日の私のエントリーで示したような、新しいエネルギーシステムの構築等へと進むべきであると考える。

 あの案は、一私案に過ぎない。しかし、多くの人々が知恵を出し合い、それを国家が支援し、新しい日本の産業を構築するべきである。

 それを、「社会主義」と批判するのは、低劣な3Kクオリティ(最近では、3K3バカの1人、古森政治部記者が、しばしば、民主党を「社会主義」と批判しているが、果たして、彼は「社会主義」の定義や意味を理解してその言葉を使っているのか、大いに疑問である。)に過ぎない。

 国家は国民のためにある。
 国のために国民がいると思い込んでいたのは、自分はが国の支配者と信じて疑っていなかった、狂人安倍晋三くらいのものである。

 一部政治家や経営者(その多くが世襲である)、企業の目先の儲けのために動くのが国家の役割ではない(国家の構成員としての私企業を支援、育成するのは別に構わない。利権で結びついた特定の企業の利益のために国政を壟断してきた、コイズミ、竹中をはじめとする腐敗政治家こそが、日本を現在の苦境に追い込んだのである。)。

 国が、エネルギー分野のイノベーションのために、主導的役割を果たすのを、「社会主義」と批判するのなら、安倍政権末期に、三菱重工が手がけていた、中規模ジェット旅客機の開発に、安倍元首相の独断で500億円もの国費を「差し上げた」のは、いったい何にあたるのか、コモリン(3K、古森記者の愛称。「蔑称」でもある。)に聞いてみたいものである。同時期に年間2200億円の社会保障費の削減を行いながらである。

 政権交代は成った。

 自民党はいまや滅亡への道を突き進んでいる。

 政界再編が起きない限り、麻生政権までのような自民党的政治が復活することは無いだろうし、復活させてはならない。

 民主党もさまざまな人物がいるし、一枚岩ではない。
 しかし、私が主張するような方向性を持ち、それをやり通すだけの意志があれば、日本再生の道が開ける可能性はあると思う。

 その試金石のひとつが、私が述べたような、再生可能エネルギー分野への開発投資と、実機の研究、製造支援であると考える次第である。