安倍や麻生よりマシ、だけで国の運営はできない。

 所信表明演説で、「友愛社会の実現」を表明し、「コンクリートから人へ」とも言った、鳩山総理。
 その後に出た、雑誌への寄稿文にしても、まことに結構なものだと、読んだ時は思った。

 「美しい国」という、安倍のわけのわからない本やら、「とてつもない日本」(?)も、全く意味不明な麻生の文章だった。

 しかし、安倍も麻生も、衣の下から鎧どころか、鎧姿で現れた感はあるもの、一応、自分が目指す、「この国の形」を示す格好だけはとったのであった。その内容が愚劣であったり、全く現代社会に合わない世襲貴族制のような、国民を馬鹿にした国家像であったにしても、それを一応は表明した。

 鳩山総理に求めたいのは、「友愛社会の実現」に続く、将来10年、20年。いや50年先を見据えた、「この国の形」、を示してもらいたい。
 政権交代により、腐敗を一掃するにはまだ時間がかかる。新自由主義により焦土と化した日本の国民生活の復興にはまだまだ時間がかかる。

 しかし、この闇夜のなかの灯りのように、国民がそれを目指して一緒に国づくりをしていきたいと思うような、国家ビジョンを、総理は示してもらいたい。
 特に、予算編成時期で、国会議員や官僚は忙しいだろうが、一番暇なのは総理大臣だろう。この機会に、「民主党政権が目指す日本の姿」を、もっと明確に、わかりやすく説いてもらいたい。

 「友愛社会の実現」と言われて、私はフランスの三色旗(トリコロールカラー)の、「自由」、「平等」、「博愛」の最後の博愛と同じものだろうと感じた。そして、行き過ぎた「自由」により、「不平等」が蔓延した新自由主義から脱却し、その不平等を是正しつつ、自由と言う物の真の意味を考えるために、「博愛」が必要だと言うのだな、と肯定的に受け止めた。

 しかし、その後の鳩山政権では、事業仕分けの中身にしろ、普天間基地の問題にしろ、さまざまな意見の間でふらふらするだけで、たとえば、沖縄県民が押し付けられている、著しく不平等な歴史と立場への友愛精神を発揮して、アメリカに辺野古基地はいらないと言うのかと思ったら、そうは言わずに、「時が来れば判断します」という、政治的な言辞で時間を取りつくろっている姿は、見るに堪えない。

 個々の問題については、いろいろ意見もあるだろう。
 しかし、鳩山民主党政権が目指す、「この国の形」をしっかり明示すれば、それがメルクマールとなり、国民も動きやすく、また政治を判断しやすくもなるだろう。

 もう一段踏み込んだ、「所信表明」を求めたい。
 狂人安倍や、アホの麻生と同じことをしているだけでは、新政権の鼎の軽重が問われると言う物だ。