世襲政治家以前に、人間性が疑われる、平沼赳夫の差別発言

 もはや、この話題は、大手マスコミにも載るようになり、おおむね批判的ではあるが、決定的なとどめを刺しておきたい。

 次の参院選で、平沼新党なるものをぶち上げているが、まず、女性のみなさん。こいつは、過去に麻生と一緒に、「女性に、参政権を与えたのが間違いだった」とはっきり発言しています。
 女性のみなさん、こいつは麻生太郎と同様に、女性参政権に反対しているのです。理由なんかありません。単なる女性蔑視にすぎません。

 今回の、民主党蓮舫議員に対する、「元々日本人じゃない」という、民族差別発言も、まずベースに、蓮舫議員が女性であることを蔑視したうえでの、話でしょう。

 国際的に、すでに帰化して、法律上正式に日本人であり、そのうえで国会議員である女性に対して、「元々、日本人じゃない」って、だから何だと言うのでしょう?
 極右発言を繰り返す、「金美齢」女史も、帰化日本人(元は台湾人)ですが、平沼としては、排除の対象になると言うわけですか?

 平沼にとって、世の中は、自分(男性で、どうやら日本人らしい)が絶対で、他は全部それ以下の劣るもの、と言う傲慢な認識なのでしょう。

 特に、前にも書きましたが、永住資格保有外国人参政権の件で、平沼は、「帰化すれば良い」と繰り返し発言してきました。帰化すればよいのだから、参政権付与は要らない、と。
 しかし、その帰化をした、しかも日本人とのハーフである蓮舫氏を、「元々日本人じゃないから、(仕分けなどと生意気だ)」と言う発言は、自分の発言すら無視した、暴論以外の何物でもありません。

 自分自身の主張すら省みずに、意味も理由もなく、女性や他民族の血を引く人を差別し続ける、醜い差別主義者。

 国際的には、議員辞職が当然の発言です。そこまでたたかないのは、日本人がまだ、こういう問題に鈍感だからです。

 女性は特に、この男性至上主義者、そして差別主義者に絶対ノーを突きつけましょう。平沼新党など、当選者0に終わらせるべきです。

 この手の男の頭の中は、「自分と差異がある者」は、すべて差別とさげすみの対象なのです。
 だから、女性も他民族も差別できる。と言うかそれで当然と思っている。

 時代遅れの純血民族思想。ナチスの優生思想にもつながる、人を区別、差別して、貶めると言う、恥ずべき発言を平然とできる、100年ほど遅れて生まれてきた猿です。

 「差異があること」だけが差別の理由では、髪の毛がふさふさの私は、前頭葉に髪の毛が無いことで、奴を差別することだってできる理屈になります。
 こういう理屈をのさばらせてはいけないのです。

 ましてや普段の自分の発言(「帰化すればOK」)をおざなりにしてしまうようなバカです。
 バカなのに、人をバカにして自分は上に立つ人間だと思い込んでいるのです。

 この男は、1年ほど前にも、「向こう10年くらい選挙を停止して」などと、憲法をないがしろに(大日本帝国憲法だとしても同じこと)する発言をしています。血統と家柄と世襲政治家であるというだけで、まるで自分が日本の支配者であるかのような発言を繰り返しています。

 排撃しましょう。日本人の恥として。
 差異を認めない。男女の差異は女性を貶めるように考え、人種、民族でも、日本人以外はダメ、と根拠も無しに言いきる、無神経さと、そのバカさ加減。恥を感じない無神経さ。

 平沼こそ、安倍、麻生とともに(死んだ中川昭一も)、自民党のもっとも汚く、古い体質を体現している奴です。
 実際、以前から新党だの、平沼グループだのと言っても、衆院で自分と、地盤を持っている城内実という子分くらいしか当選させていません。
 なぜかというと、政策も何もないからです。

 彼らにあるのは、自分と違う者を貶めて、その相対的に自分が高い地位にいるように錯覚したいと言う、卑屈な劣等感の裏返しでもあります。

 こんな奴に発言権を与えないよう、次の参院選まで、私はしつこく、平沼赳夫とその仲間たちを批判し続けます。

 「日本人であるからレベルが低い」。海外でそう言われる日が来るかもしれません。こいつらがのさばっている限りは。

今晩は、政治の記事です(平沼赳夫発言批判)。

 今晩、時間が採れそうなので、平沼赳夫レイシズム発言の徹底批判をします。

 再生可能エネルギーについては、今後も書いて行きますが、昨日の太陽光の記事(http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100118/1263765139)には、太陽定数の扱いにミスがあったので、書き直しました。

【本論に戻る】他の再生可能エネルギーの可能性と未来(改稿・重要な相違がありました)

 私は、再生可能エネルギーの中でも、特に洋上大規模風力発電に私案を絞ってみた。
 しかし、現在は太陽光発電が一番注目されていると言えるであろう。

 太陽光発電とは、「光」エネルギーを電気エネルギーに変えることができる、「太陽電池」(半導体の一種)のセルを用いて行われる。
 他に太陽「熱」発電もあるが、だいぶ昔にNEDOが、香川県仁尾で、実験をしていたが、やめてしまった。最近、再度研究開始の動きがあるらしい。

 太陽光発電のネックは、長きにわたって、その光=電力変換効率にあった。
 地球上の全体を平均しての話だが、地球大気表面には、1㎡あたり平均、1366w分のエネルギーの太陽光が降り注いでいる。地表にはその6割弱程度とされている。

 仮に、100%の変換効率を持つ太陽光電池があったとしても、平均値を多少超える程度の発電が、1日の間のごくわずかな期間にしか期待できない。
 そして、現在、もっとも光=電気変換効率の高い太陽光電池(以下「セル」)と呼ぶは、40.7%の効率があるとされる。

 1366wの6割弱の41%と言えば、約335w強である。

 現実問題としては、太陽光の持つエネルギーのうち、熱はこのセルでは電気に変換されないので、上記の数字はもう少し下がるものと思われる。
 他方、1366wと言う、「太陽定数」自体が、地上の全体の総平均なので、個々の地点での太陽光発電の効率を語るには、適さないかもしれない。

 思うに、北緯45度前後にある日本では、1㎡あたりの理想的な太陽光のエネルギー量は、700w程度には達するであろう。その41%ととすれば、約300wになる。
 しかし、発電後、各セルを結合して電気を集め、直流から交流に変換し、送電する間にロスが生じる。
 また、夜は発電量は0になる。曇りの日もあれば、雨の日もあるだろう。
 それらの気象データや、太陽光の入射角による減衰を考慮すると、1㎡あたりの最大発電量は、1日を通して、100w以下と考える方が適当だと考える(あくまでも私的意見である。)。

 現在普及しつつあるように、各家庭や、ちょっとしたスペースに、こまめにセルを設置していくのは一つの手ではあるが、現在の変換効率と、メンテナンスの費用を考えると、まだ、完全に、採算性が採れるとは言い切れないレベルである。今の状況の数値は、上記の、1㎡当たり、100wと言う想定よりも低い。

 しかし、理想的な条件、または、今まで無駄に空いていたスペースにセルを設置して、少しでもエネルギーの回収を図ると言う方向性は正しいと思う。

 風力のエントリーでも述べたが、今後、化石燃料の枯渇に伴う、価格高騰で、コスト面の優位性も増してくるであろう。
 ただ、太陽定数は、すぐには変わらないし、人為的に増やすこともできない。鏡との組み合わせや、それに付随する太陽熱発電も組み合わせるなどのハイブリッド型、太陽光発電所が考えられる。

 あくまでも仮定であるが、日照時間の長い地域に、上記の40%の効率のあるセルを組み合わせ設置をして、一部は赤外線を反射する鏡面のように加工して太陽熱を集めて、太陽熱発電もおこなう、などのハイブリッド太陽光発電所が可能かもしれない。

 また、もし、変換効率が、今の倍の80%にまでなれば、上記のような、条件の太陽光発電所では、セルの設置面積を広げれば広げるほど、発電量は多くなる。
 この仮の想定で考えると、1平方キロメートル(100万㎡)の面積に理想的条件でセルを設置するば、約10万kWの発電が可能になるはずである。
 しかし、それは理想的条件での最大値。しかも、セルの効率を、今の最高値の倍と仮定しての話である。
 しかも夜は発電できない、天候の問題もある、などとすると、太陽光発電所の効率はまだまだと言うことになるであろう。

(ここまで、昨日までの記事改稿。太陽定数の定義や数値など、大幅に変えたたため、重要です。間違えて申し訳ありません。)

 既存の最高レベルの太陽光発電セルの倍の効率を達成しても、昼間の最高値で、1平方キロメートルあたり10万kWと言うのは、はたして多いと言うべきか少ないと言うべきか?

 現実の採算性ぎりぎりか、採算性を割り込んでも、今、建設されている「メガソーラー」発電所であるが、関東地区では、東京湾臨海工業地区に2箇所、山梨に1箇所、最大発電出力1000kW(1メガワット)の発電所が建設が決まっている。

 正直、現在の動きは、「環境を重視してますよ」という、電力会社の宣伝の意味が強い。

 しかし、そんな電力会社の思惑は別にして、「あいているスペースには、ユニット型にして、効率的にメンテが可能な発電セル・ユニットをくまなく配置する」ッと言うのは、理想としては追求したい。

 最初に大規模風力発電システムについて書いた(http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100113/1263376627)が、私は、他の自然エネルギーを排除するものではない。そうではなく、適材適所で、利用できるエネルギーは最大洩らさず回収できればと思う。

 太陽光については、上記のような数字であるので、大規模太陽光発電所と言うのは適しないと思う。赤道上の沙漠にでも設置するなら別だが、日本ではない。ただ、技術力は確保し、海外に販売していくことが望ましい。

 そのためにも、個別案件としての発電所を受注するという形よりも、ユニット(たとえば、2kW出力とか、それを交流変換する装置と組み合わせたもの)を製造販売してはどうかと思うし、それに、NaS電池の組み合わせなども考えられると思う。

 以上、太陽光発電に関する、基礎知識を述べた。
 過大な期待は行けないが、利用できるところはする。そして、ユニットを設計、製造して、それを販売する。
 これに尽きると思う。

昨日までの、3日分の記事をまとめてお読みください。

 ただでさえ、アクセスが少ないこのブログですが。
 土日となって、一層アクセスが少ないです。

 私としては、手を抜かずに、一生懸命書いたエントリーです。

 再生可能エネルギー自然エネルギー)の高度・有効活用の私案と、それを取り巻く、今の日本の政財界の情勢を書いています。

 長くて、申し訳ないですが、

 3日前の、
 http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100113/1263376627

 おとといの、
 http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100114/1263458975

 昨日の、
 http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100115/1263545147

 の順に、お読みくださるよう、お願いします。

 月曜以降、さらに、他の再生可能エネルギーや、現在のエネルギー供給システムの改善点などを、アップしていきたいと思います。

新産業基盤の確立と、エネルギーシステムの再構築は国家が主導すべき

 一昨日のエントリーと、昨日のエントリーの前半で、大規模洋上風力発電システムの私案を述べた。

 石油を中心にした化石燃料が、やがて(100年以内に)は枯渇することを考えれば、このような再生可能エネルギーにシフトする方向性が変わることは無いだろう。むしろ加速するだろう。

 しかしである。

 今の日本の経済界には、自らこのような新エネルギー・システムの構築に挑んでいこうというような気概が無い。
 いや、銀行を含めた、共同企業体を作り、チャレンジしていくことは可能性としてはありうるが、ほとんどの企業にその気は無いであろう。
 まず確実にやらない。

 日本に限った話ではないが、石油、天然ガス、石炭に、依存しきった形でのエネルギーシステムが構築されて、すでに数十年が経っており、また、アメリカのように自動車産業が儲けるために、自動車会社自身が鉄道会社を買収して、エネルギー効率の良い鉄道システムの発展を妨害し、石油がぶ飲みの自動車中心国家を形成したような例もある。
 アメリカの穀物メジャーが推進する、とうもろこし原料のバイオエタノールも、エネルギー政策よりも、穀物メジャーの儲けが優先の考え方である。

 目先の利益のため。または、既存のシステムで利益が得られる限りは、ほとんどの企業は、新エネルギーの製造・分配システムへの開発投資を行わないであろう。

 政治の話になる。
 「官から民へ」、「民間活力の活用」っという、自民党が使い古したキャッチフレーズ。

 中曽根政権から始まり、コイズミ政権でピークに達した、新自由主義的、企業本位社会では、まずは、企業の(ほとんどの場合、大企業の)儲け、利益が最優先となる。

 「コーポレート・ガバナンス」と言う言葉がある。
 「企業統治」という変な日本語に訳されているが、要するに、会社は誰のもので、誰に奉仕するかを示す言葉である。
 結論は、最優先に奉仕すべき会社統治者は株主であるということになっているのだが、これには本当は裏がある。
 実際のところ、日本において特徴的なのは、大企業同士が互いに株式を持ち合いをし、会社経営、企業統治に、他者の介入を阻む体制がすでに出来上がっていることだ。

 口先では、「株主の最大利益を図るのが、株式会社の使命」と言いながら、実は、互いに株式の持合をしている日本の大企業は、結局は、互いの会社を儲けさせることが至上ということになっているのである。
 ある意味、雇用などによる所得の再配分と言った、企業の社会的役割を放棄する口実として用いられているようなものである。

 これを、私は、「会社資本主義」、「会社本位制」と呼んでいる。

 「会社資本主義」、「会社本位制」の至上命題は、会社の利益を極大化することである。そして、その利益を算出する期間は、いまや四半期(3ヵ月)業績というスパンの短いものになっている。
 業績がよければ、経営者(世襲企業では、オーナー経営者)は、億単位のボーナスがもらえる。しかし、業績を良くする為と称して、賃金カットやリストラ、資産売却をして、費用を削減して決算上の利益を出したのだとしても、同じように経営者はボーナスを得る。

 品性下劣・傲岸不遜で有名な、経団連会長の御手洗なども、世襲経営者であり、キャノンでも賃金カットをしたり、偽装請負などの違法な低賃金労働を導入したり、その違法性を指摘されると、自民党に手を回して、合法化させようとしたり、経団連会長として、国(自民党安倍政権)に、「ホワイトカラー・エグザンプション制度」(俗に「残業代0法案」と呼ばれた)などを提案してきた。

 そうやって、キャノンが決算で利益を出したら、自らの役員報酬は2倍にした。
 これが、資本の再配分を含めた、企業の社会的責任、役割を放棄し、一部の経営者、世襲経営者の利益の最大化だけのために、日本経済をだめにしてきた、経団連自民党のやってきたことである。実に近視眼的で、下劣な奴らだ。

 数日前のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100110/1263099920)に書いたように、コイズミ政権の5年間(+安倍政権の1年間もほぼ同様)に、日本は、俗に先進国と呼ばれるOECD各国内で、多くの国民生活にかかわる指標が下落した。福田、麻生政権下でも改善はしていないはずである。

 この間、コイズミ政権及びその走狗の竹中平蔵らは、為替の円安誘導で、自動車、電機などの一部の輸出企業のみに利益を出させ、その数字だけを取り上げて、「いざなぎ景気越えの景気回復」と自画自賛した。御用マスコミは、政府の大本営発表を垂れ流した。

 しかし、実際の数字を見ると、中曽根政権下の新自由主義規制緩和により、土地・金融バブルが極大化し、一時的超好景気になったが、実際には株価や地価という、「虚」の価値だけが肥大化し、それが崩壊した後、日本は、「失われた10年」(その後の小渕政権以降も、決して景気はよくなっておらず、いまや「失われた20年」になろうとしている。)と、コイズミ政権以降も、日本経済は沈滞の一途をたどっている。

 「貧困率」など、OECD諸国では取っている統計などは取らず、単に、一部の経済指標だけを取り上げて(しかも、景気回復と言ってもその回復率は微々たる物でしかなかった)、「継続期間」だけが、「いざなぎ景気越え」だったのである。
 
 国民は直近11年間のうち1年を除いて、世帯所得が減り続け(御手洗のような経営をしてきたからである。)、景気回復の実感が無いまま(実際回復していなかったのであるが)、生活に窮し、悩み、ワーキングプアが労働者の四分の一を占めるまでになり、やっと、自民党を政権の座から追った。
 御手洗も連座して、さっさと経団連会長をやめるべきだと思うが。

 このような、「会社本位制」のもとでは、長期的な視野で、エネルギーの発生から分配にいたる新たなシステムを構築しよう、というインセンティブはなかなか生じない。
 石油価格が安定している限りは、それで満足してしまい、来るべき石油枯渇に備えて新たな投資をしたり、その投資の回収に長い期間がかかるような事業創造にチャレンジすることは、今の日本企業の体質ではまずありえないであろう。

 昨日のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100114/1263458975)でも述べた、スマート・グリッドについての日本の対応がまさにそれを示している。
 新たな効率的なエネルギー発生、分配網を作る、っという、再生可能エネルギーも視野に入れたスマートグリッドの基本概念に反し、日本で始まった検討は、単に、高温超伝導などの新技術を使った、価格の高い送電線網などを、既存の送電線網に置き換えると言った、既存重電メーカーが、新たな受注を得るために活動しているのに過ぎない。
 そんなものは、国が音頭を取って、新たな会合など開かなくても、時間がたてば設備の置き換えは進むものであり、何も新しい概念を持っていない。

 このように、「挑戦」、「イノベーションへの意欲」が欠落しているのが、日本の今の大企業なのである。

 ノーベル賞を受賞した複数の日本人研究者や、iPS細胞の研究で名をはせた山中教授などが、みな海外に研究拠点を移しているのも、日本の企業や大学が、新たな技術や研究に金を投じなくなったのが原因であると考えられる。私の先輩に当たる、とある有名大学の教官も「大学はもはや、研究や教育の場ではなくなった。」と私に言ったことがある。10年近く前の話だ。

 やはり、私は、目先の四半期利益の極大化を至上とする、現在の新自由主義的「会社資本主義」、「会社本位制」のままでの日本では、やがて来る、化石燃料の枯渇に備えた、新しいエネルギーの発生、分配システムを構築しようとしないだろうと思う。
 他国に先を越されて、後からあたふたと追いかける羽目になるのが関の山であろう。

 しかし、これは、やらねばならないテーマであり、しかも世界に先駆けて、環境技術が進歩している日本が、世界をリードし、そこで新たな産業の収益源を獲得していくことが、必要だと考える。
 コストカットによる企業の利益の増大ではなく、新産業拡大による、新たな価値の創造による利益の確保を目指すべき時なのである。

 このためには、「官から民へ」、「民間活力の活用」は善、などという、意図的に作られた造語に惑わされること無く、国や自治体が、先導して、技術開発、試験プラントの運用、実機プラントの展開、などを行っていく必要があると思う。

 これこそが、「国家百年の大計」と言う物である。

 国は何もしない、民間に任せておけばよい、っという政治無責任の新自由主義の下で、日本はバブルの崩壊以降、一部の企業経営者と、コイズミら自民党世襲政治家たちが、私利私欲を満たしただけで、国家としての経済力、競争力、国民の富などは低下の一途をたどって来た。
 日本だけでなく、ビル・クリントン政権下で、景気回復を果たしたアメリカも、新自由主義者の馬鹿ブッシュの下で、再び財政赤字に苦しむ結果になっている。つまり、新自由主義=会社本位制=「官から民へ」は、間違いだったことが、現実として証明されているのである。

 今、新技術の育成、イノベーションに向けて反転攻勢に出ないと、日本は三流国家へと転落する。
 国民は20年間の痛みの上で、政権交代を選択した。

 このときこそ、民主党が、「新たな成長分野の創出」、「産業基盤の抜本的改革」を主張するように、国が主導して、一昨日の私のエントリーで示したような、新しいエネルギーシステムの構築等へと進むべきであると考える。

 あの案は、一私案に過ぎない。しかし、多くの人々が知恵を出し合い、それを国家が支援し、新しい日本の産業を構築するべきである。

 それを、「社会主義」と批判するのは、低劣な3Kクオリティ(最近では、3K3バカの1人、古森政治部記者が、しばしば、民主党を「社会主義」と批判しているが、果たして、彼は「社会主義」の定義や意味を理解してその言葉を使っているのか、大いに疑問である。)に過ぎない。

 国家は国民のためにある。
 国のために国民がいると思い込んでいたのは、自分はが国の支配者と信じて疑っていなかった、狂人安倍晋三くらいのものである。

 一部政治家や経営者(その多くが世襲である)、企業の目先の儲けのために動くのが国家の役割ではない(国家の構成員としての私企業を支援、育成するのは別に構わない。利権で結びついた特定の企業の利益のために国政を壟断してきた、コイズミ、竹中をはじめとする腐敗政治家こそが、日本を現在の苦境に追い込んだのである。)。

 国が、エネルギー分野のイノベーションのために、主導的役割を果たすのを、「社会主義」と批判するのなら、安倍政権末期に、三菱重工が手がけていた、中規模ジェット旅客機の開発に、安倍元首相の独断で500億円もの国費を「差し上げた」のは、いったい何にあたるのか、コモリン(3K、古森記者の愛称。「蔑称」でもある。)に聞いてみたいものである。同時期に年間2200億円の社会保障費の削減を行いながらである。

 政権交代は成った。

 自民党はいまや滅亡への道を突き進んでいる。

 政界再編が起きない限り、麻生政権までのような自民党的政治が復活することは無いだろうし、復活させてはならない。

 民主党もさまざまな人物がいるし、一枚岩ではない。
 しかし、私が主張するような方向性を持ち、それをやり通すだけの意志があれば、日本再生の道が開ける可能性はあると思う。

 その試金石のひとつが、私が述べたような、再生可能エネルギー分野への開発投資と、実機の研究、製造支援であると考える次第である。

【再生可能エネルギー論】 「スマートグリッド」について

 昨日アップした、大規模洋上風力発電所のアイデアhttp://d.hatena.ne.jp/nemuri_neko/20100113/1263376627)は、必ずしも新しいものではない。
 また、蓄電池や、余剰電力で液体・気体燃料を製造するというのも、新しいアイデアではない。
 私が社会人になった四半世紀前にも、「ソフト・エネルギー・パス」という言葉で、再生可能エネルギーや水素の利用についての意見が盛んに発表された。
 私の昨日のエントリーは、昔読んだそれらに関する本と、最近の再生可能エネルギーに関する議論を結びつけ、さらに、自分が知った電力運用の知識を敷衍して組み立てたものに過ぎない。

 1日おいて読み返してみて、いくつか、より良いのでは、という小ネタがある。
 たとえば、よほど沿岸から遠い大陸棚上に、「サイト」を配置するのでない限り、電力の輸送は、蓄電池船より、海底ケーブルのほうがはるかに安く、効率的であろう。多重化することで、切断、漏電事故にも対処できる。超伝導技術の進歩による、送電線の効率アップも寄与するだろう。
 あいにく日本では、数十キロを越すような海底高圧送電線を敷設したことは無い。
 ただ、それは経験が無いだけで、有線による国際電話のための海底ケーブルのことを考えれば、技術的に困難なこととは思えない。

 送電ケーブルを陸上に上げる場所で、NaS電池などによる、出力の安定化を図り、周波数、電圧を一定にして系統につなげばよいのである。
 また、余剰電力でのバイオエタノールや水素の製造も、地上で行うほうが有利であろう。
 何しろ、バイオエタノール(私が想定しているのは第二世代のもので、原料は、木屑、紙ごみ、生ごみ、草などである。やはり食料であるとうもろこしを原料としようというのは、とうもろこしの大生産国で、穀物市場を支配するアメリカの意向が強く、世界的に見て許されることではないと思う。)の原料を運び、蓄積しなければならない。生産物であるエタノールも同様である。

 蓄電池船や、エタノール・水素製造プラント船というのも、ありうるとは思うが、運用上のコストを考えると、上記のような形が良いと思う。

 ただ、昨日のエントリーのミソは、複数の既存技術を組み合わせてでも、あのようなプランは立てられるということと、「ユニット」単位での製造、販売により、小規模から大規模まで、フレキシブルに拡大することのきる、技術・商品として考えていただければ幸いである。

 さて、話は少し変わるが、最近、「スマートグリッド」という言葉がはやり始めている。
 そもそもはグーグルが言い出したことで、IT技術を使って、各地に偏在する複数のエネルギー、またはエネルギー資源を、効率的に結びつけて、密度が低い再生可能エネルギーも取り込めるようにしようというアイデアだ。
 しかし、実はその実態は、まだはっきりしていないのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89

 上記のウィキペディアの記事にあるように、国によって、「スマートグリッド」の捉え方は異なっている。別に統一する必要は無く、いろんなプランがあってしかるべきだし、電力系統網の効率化だけでなく、バイオエタノールや水素、それを消費する乗り物などについても、そのような、「効率性」の視座を持って取り組んでいくべきであろう。

 嗤うべきは、上記、ウィキペディアの記事中にある、日本の取り組みで、結局、重厚長大産業が儲けを狙って、超伝導技術や、次世代送電線網を作ろうというのに過ぎない。
 この話は、今朝のニュースにも乗り、電力会社を含め、重電メーカーが顔をそろえて、日本版スマートグリッド検討の会合が始まるそうであるが、これは、本来イメージされる「スマートグリッド」のごく一部でしかない。

 昨日の私のエントリーのような考え方が、スマートグリッドの基本的な方向性である。

 しかし、日本の産業界は、依然、原子力発電と、そこからの送電線網を次世代化すること程度しか考えていないことがわかる。
 ここら辺、目先の利益、四半期ごとの業績でしか物を考えない、最近の新自由主義的経営のあり方のため、長期的に、また、自社の得意分野を超えて、全体の効率化のために共同しようという思考に欠けているものと思われる。

 よく似た話で、10年以上前、「CALS」という、情報のIT化により、企業間横断で、紙ベースの情報のやり取りから、電子データによる情報の交換を行うシステムを作ろうという話が出てきて(そもそもは、アメリカ陸軍の戦車マニュアルが膨大すぎるので、それの電子運用化を図ったことがきっかけとなった話し)、やはり、電力会社や、ITメーカー、重電メーカーが雁首そろえて、国の掛け声で集まったが、おりからのITバブル崩壊もあり、また、メインフレーム系で、中央で全体を管理しようと発想自体が、PCなどのハードの急速な高性能化と普及により、時代遅れとなり、「CALS」概念は、一気に立ち消えした。

 スマートグリッドについても、国が、よほどきちんと手綱を取り、NEDOや大学などの公益法人などとも連携しながら、上手に進めないと、単に、古くなった設備の更新に毛の生えた程度のものになってしまうであろう。

 しかし、同じことを繰り返す、硬直した日本の大企業のおろかさには嗤うほかは無いが。

 「スマートグリッド」については、より広範で、欲得づくではない検討とプランニングが必要であろう。

【再生可能エネルギー論】洋上風力発電システム、私論。

 今日は、少し長くなるが、私がイメージしている、洋上風力発電の大規模なシステムのプランを開陳することにする。

 再生可能エネルギー ≒ 自然エネルギーの欠点については、以前述べた。  エネルギー密度の低さと不安定さ。また、その不安定さが、電力送電線、配電線のネットワーク(これを専門用語で、「系統」という)に接続する際、全体に電圧効果などの悪影響を及ぼし、単純に、再生可能エネルギー発電機を、どんどん系統に接続すればよいというものではないことも、述べた。

 再論すると、前のバージョンの社民党のHP(最近大幅に更新された)にあった、100万kW級の大型洋上風力発電装置についてであるが、100万kWというのは、大型原子力発電所を意識しての数字であろう。
 しかし、100万kWという、風頼みで不安定に出力が変動する風力発電機を、「系統」につなぐことはできない。その不安定な変動が、「系統」の信頼性を損ない、瞬時電圧降下などによるブレーカー(遮断機)の作動により、全体の停電を引き起こしてしまうからである。

 では、それでもなお、私が、風力発電。特に「洋上・中、小規模」風力発電に着目するかというと、これに、フロートや船舶に搭載した、NaS電池(ナトリウム・硫黄電池 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%83%BB%E7%A1%AB%E9%BB%84%E9%9B%BB%E6%B1%A0 )を接続し、いったん蓄電し、そこ から安定的な電気の品質で送電することを考えているからである。
 NaS電池は、日本が開発したもので、すでに産業の現場で実用化されている。規模も2000kWクラスが普通であり、電池であるから、積層化して使うこともできる。昨年には、製造元の日本ガイシが、フランスから15万kW規模の受注をした(http://greenpost.way-nifty.com/k/2009/05/300400-nikkei-n.html)。 

 充電、放電の時間も、現在電気自動車の主力電池として使われている、リチウム電池よりも優れた特性を持っている。大規模に運用するのに適した電池といえる。
 ただ、ナトリウムや硫黄が、危険物(可燃性、酸素との反応性が高い)であるのと、高温(350度以上)で運用されること、が問題点として指摘されているが、現時点まで、特段事故は起きていない。

 では、私がイメージする洋上風力発電所システムの概要を説明しよう。

 一部の機関で研究されている、「メガフロート」(大規模浮遊躯体)の上に、現在陸上で使用されている、主に1500kWの発電能力を持つ発電機を複数搭載するのとは、別の案を考えている。別にメガフロート案に反対しているのではないが、よりフレキシブルな対応と、海外に販売できる技術として、中小規模の方が有利だと考えるだけである。

 私の考えでは、「メガフロート」ではなく、もっと小さなフロート1基あたり、1〜3基の、出力5000kWの風力発電機を設置する。これを、仮に「ユニット」と称する。 この「ユニット」(仮に、1フロートあたり、1基の発電機とする)を、複数、だ円形または平行四辺形型に洋上に配置するのである(相互の風の妨害を避けるため、各ユニットの配置には、新たな経験の蓄積が必要であろう。だ円形、平行四辺形というのは、私の仮説である)。
 配置は定型である必要は無く、各フロートに、弱い自航能力を持たせるか、小型の専用の無人曳航艇により、各ユニットは、その時々の風や、波の状況に応じて、方向や配置を変える。
 風車自体も風向きに応じて方向を変える能力を持つが、大量運用の際に、相互に邪魔をしないように、全体を統括する必要があると思われる。これにより、その日のもっとも発電効率が高くなるように、フレキシブルに、ユニットは配置を変える。

 あくまでも想定であり、実際には厳密な風洞実験が必要であると思うが、たとえば、現在の地上設置の風力発電機が、羽の回転する直径が約15mである。それで最大出力が1500kW。 私が考える発電機は、九州大学が研究中の扇風機型のものであるが、これの直径は30mと仮定する。
 現在の地上型に比べ、風に向かう面積は4倍(面積自乗)になるので、発電出力も4倍の6000kWと想定できるが、安全側にとって、5000kWととする。九州大学の目指している数値はもっと高い。
 この発電機を搭載したフロートを、相互に90mの間隔を置いて配置する。四角形で考えると、1200m四方の範囲に、100基のユニットを配置することができる。

 洋上では、1200m四方というのはさほど目立つ、また障害になる大きさではない(東京湾、瀬戸内海など、船舶の往来が激しい場所は除く。)。
 これも、安全側に数値をとって、一辺1500m程度のひし形に、100基のユニットを展開すると仮定する。
 これで、最大の発電量は50万kWになる。中規模の原子力発電所に匹敵する。ちなみに原子力発電所の敷地の広さは、こんなものではないことは言うまでも無い。
 実際の発電量は50万kWを下回るであろうが、せめて平均で20万kWは望みたい。
前述のNaS電池の受注実績からも、無茶な数字ではない。

 これら100基のユニット全体で、1発電所(「サイト」と仮称する)を形成する。
 実際に風洞実験を行い、また、気象条件などにより出力を計算すれば、より正確な数字が出ると思うが、私にはそれをすることができないので、あくまでも、安全側に仮定をしながら、想定していく。

 この「サイト」単位に、まず、NaS電池を搭載した蓄電池船を複数、セットで用意する。フロートにしないで、可動の船舶に乗せるのにもわけがある。洋上数キロ、数十キロに位置するサイトから、送電線を引き、維持するよりも、その場で船舶に載せた蓄電池に接続し、蓄電したほうが、効率が良いと思うからである。 海底送電線のほうが安価で確実なら、そうすればよい。
 仮に船を使うとした場合、数隻の蓄電池船が、交代しながら地上の受電設備に電気を運び、そこから交流に変換したり、電圧を調整したりして送電線につなぐ。
 陸上の受電設備(受電基地)は、1箇所で、複数の洋上「サイト」を受け持つ。この受電基地が、現在の火力発電所などに該当することになる。
 たとえば、湾であるので比較的波が穏やかな相模湾や伊勢湾の、沖合い10キロ以上の地点に、間隔を置いて、「サイト」を複数設置する。蓄電池船は、それらを巡回しながら、1箇所の受電基地に電気を「荷降ろし」する。蓄電池船の規模や、搭載するNaS電池の規模、全体の隻数は、想定できないが、最適解が必ずある。
 この方法に、技術上の問題はほとんど無い。現状、5000kWクラスの風力発電機が無いことと、洋上での運用実績が無いが、それは、実験室レベルで検証できるし、技術上の新発明は必要としない。運用実績を積み重ねれば、さらに精度は向上する。

 あくまでもそういう想定で建てているプランであり、実際にはもっと技術は進歩するだろう。あとは、コストの問題である。
 上記の想定案では、5000kW出力の「ユニット」。それを、100基集めた「サイト」。そして、サイトを効率的に運用するための管理基地や無人曳航艇、蓄電池船、陸上受送電基地をセットで考えている。 日本各地に、このセットがいくつか設置できれば良いのである。

 しかし、たぶん、これだけでは、コスト的に引き合わないものと考える。そこで、このシステムに、別の要素を入れる。 NaS電池により、確かにある程度の電力の貯蔵は可能になった。
 しかし、風力発電所は、風さえあれば、夜も昼も発電を続けている。発電電力が余った場合はどうするのか?この余剰電力を有効に使えれば、全体のコストを下げることができる。発電電力が足りない場合は、従来どおり、原子力や火力に頼らざるを得ないが。

 そこで、私は、風力の余剰電力で、バイオエタノールや水素を作り、それをガソリンの代わりに自動車の燃料として供給したり、火力発電の燃料として使うことを併せて行うことを考えている。
 バイオエタノール製造プラントや、水素発生プラントを、船に載せて、「サイト」に接続して、蓄電船の能力を超える分の電力で、バイオエタノールや、水素の製造を行うことをまず考えた。
 これは、船ではなく、大型のフロート上に設置しても良いかもしれない。製造された燃料の輸送は、より小回りの効くタンカーが担うことになる。
 別の考え方として、蓄電池船を増やし、すべての電力は、地上の受送電基地に運び、そこで、送電線網(系統)に流せなかった分を、エタノールや水素燃料製造に使うということも考えられる。
 これもまた、運用上のコスト計算の話であり、燃料貯蔵設備の設置も考えると、製造プラントも陸上にあったほうが良いかもしれない。

 以上の運用方法で、上述の相模湾、伊勢湾のほか、駿河湾、高知沖、有明海、瀬戸内海の一部、日本海側では、隠岐や、能登半島の陰になる富山湾、青森のむつ湾も候補地(海域)になろう。
 また琵琶湖や霞ヶ浦のような広大な内陸湖沼でも、同様のことができる。
 洋上の場合、漁業権や船舶の運航などの問題から、1「サイト」における、「ユニット」の数は、何も100基にこだわる必要は無い。最低は、離島などで1〜3基からでも運用できるし、30基、50基、100基、200基など、付属する管理基地や、蓄電池船や燃料製造船などの総体のコストを考えて、適正規模を考えればよい。離島では、海水の淡水化による水資源の供給源としても期待できる。

 私は、日本国内の全電力を、この洋上風力発電システムでまかなうことを考えていない。ベース電力として、当面は原子力発電、火力発電は必要だろう。
 あくまでも、夢想に属する話だが、上記のようなシステムを、上記のような海域で、全面的に展開すれば、日本の電力の総電力需要の30%程度をまかなえるかもしれない(製造した液体燃料を燃料とする火力発電所の発電量を含む。)。

 だが、この洋上風力発電&燃料製造システムと、他の再生可能エネルギーの技術進歩はやがて、全電力の相当の割合を占めていくであろう。石油の枯渇は、まだ先といわれているが、100年はもたない。そうなれば、コスト的にも引き合うはずである。電気や自動車だけでなく、航空機の燃料となるエタノールや水素を製造するという点にも大きな意味がある。
 また、ベース電力としては、核廃棄物が圧倒的に少ない核融合発電が実用化されるときがくると期待する。
 だが、意外と知られていないが、核融合発電を行うには、まずプラズマを臨界状態に維持するために、巨大なエネルギーが必要である。そのために、やはり、バイオエタノールや水素を燃料とする火力発電所はなくならないであろう。

 太陽光発電は、やらないよりはましであるが、夜発電ができず、また冬や悪天候時、積雪。発電パネルの汚れへの対処。などを考えると、またエネルギー密度からして、補完エネルギーの枠を出ないとは思う。
 最近、「メガソーラー発電所」などが話題になっているが、「メガワット」とは、1000キロワットに過ぎない。 
 既存の風力発電風車1基が1500kWの出力を持つことと比べると、エネルギー密度の低さは比較にならないほど低い。しかも昼間のピーク時だけである。

 風力はムラがあるが、昼夜を問わず発電できるし、よほどの荒天でもなければ、発電を継続できる。このように、上記の洋上風力発電&液体燃料製造システムは、技術的に十分に可能であり、機器の効率と耐候性能の向上。ユニット機器の平準化・大量生産。サイトの運用方法の進歩。さらにそれらの技術や機器の海外への輸出を行うことにより、コスト面で大幅に下げていくことが可能であろう。
 二酸化炭素排出枠取引においても、有利な取り扱いが期待できる。また、新たな産業分野の育成と言う点でも、また運用技術自体を販売、メンテナンス事業など、海外を視野に入れれば、さらに新たなビジネスモデルが可能となろう。

 推進主体は、電力会社である必要は無い。電力の卸売り、高圧供給までは既に自由化されており、地上の受送電基地以降は電力会社にまかせる場合もありうるが、洋上風力発電システム全体は、資金さえあれば、国、地方自治体、有意な企業などが行うことができる。蓄積している技術からして、造船会社、船会社の参入に期待したい。

 上記では、湾を中心に述べたが、洋上風力発電機の設置場所は、水深200mの範囲まで、アンカーなどで海底に固定する方向でも検討されている。
 台風などで、発電ができなくなったり、「ユニット」に被害が及ぶ状況になっても、折りたたみ式の羽根にすれば、台風をやり過ごすことができる。
 発電もでき、折りたたみもできる羽根の強度と構造というのは難問だと思うが、素材を含めて、研究の余地はあるし、技術的・工学的に不可能とは思えない。
 ユニット相互が衝突して破損しないように、相互の間に緩衝材を配置するなどというのは、運用上の小ねたに過ぎない。フロートに注水して、半水没状態にして、風波をよけるのも同じだ。
 また、小規模な「サイト」の場合、海岸近くに設置し、台風時は近くの湾にまるごと避難することもできるだろう。メガフロートではこうは行かない。

 私は、上記のような大規模な「サイト」だけでなく、コストとの見合いではあるが、小規模分散型で、発電が見込める場所にきめ細かに設置していくことを考えている。その場合は、船ではなく、海底送電線で、電力を運べばよい。障害となるのは、景観問題だけであろうか。
 他にも小ねたは、いくらでも出てくる。フロートに波力発電機を併設し、波の影響を小さくしたり、太陽光発電パネルを敷き詰めて、発電の補助にしたり、「ユニット」は季節によって増減させても良いかもしれない。等々。

 このようなプランは、たぶん、研究者の間ではすでに議論になっているものと考える。九州大学は、発電した電力で水素を製造することを考えていると発表している。
 ただ、水素の本格的な利用にはまだ時間がかかると思われる。水素は爆燃性があり、また分子が小さいので、貯蔵が難しいなど、まだクリアすべき課題が大きい。
 それがクリアされるまで、洋上風力の開発を待つ必要は無い。私の考えのようなやり方もあるはずである。

 専門の方がおられれば、ご意見も頂戴したい。

 なお、この件は、具体性がまだ欠けるため、単なる試論に過ぎないが、一種のビジネスモデル特許の候補として、ここに提案させていただく。

 これは一つの夢である。しかし、実現可能な夢である。
 電力貯蔵については、常温超電導技術の進歩により、NaS電池を超える電力貯蔵ユニットもできるかもしれない。

 あとは、やる気の問題である。
 民主党が、本当に、再生可能エネルギー、環境技術で世界をリードし、新たな産業構造の基盤とするという政策を目指すのであれば、このようなプランをどんどん出していくことが望ましい。
 また、初期投資は、国家が主導すべきだろう。

 長くなったので、今日はここまでとする。